原田の作品が、中学校で使用される国語の教科書に掲載されることになりました。
平成28年度4月から使用される三省堂「現代の国語」の芥川龍之介・作「トロッコ」、および東京書籍「新編 新しい国語」の菊池寛・作「形」の二作品に版画を提供しています。
長きにわたり日本の文壇史に残る作家さんと仕事をしてきた原田に対し、ここ何年か、教科書で名門の各社さんから作品提供の依頼が続いています。また、静岡にある名門女子大学系列の女子高校さんにおいては、教科書の物語をより深く味わうため、原田の実物の版画が授業で使われるなど、微力ながら、中学や高校の教育にも貢献させていただいています。
写真は、上段左から三省堂「現代の国語」とその掲載作品、東京書籍「新しい国語」とその掲載作品です。
※二度クリックで、文字が読めるほど大きく拡大してご覧いただけます。
2013年7月から2015年2月まで毎日新聞で連載され、原田が挿絵を担当してきた、宮城谷昌光さん作『劉邦』(上中下巻)が単行本になりました。
表紙のみならず、各章にも原田の代表的な作品が使われています。
もちろん、ストーリーは天下一品。宮城谷さんならではの解釈による劉邦が丁寧かつダイナミックに描かれており、宮城谷ワールド全開、といった感じで、最初から最後まで楽しめることうけ合いです。
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一人の男の信念に、綺羅星のごとき才が集結す。中華全土を巻き込んだ、最強のライバル対決が始まる!
中国史を代表する名君・劉邦の活躍を、歴史小説の大家が鮮やかな筆致で描き出す傑作長編。秦末の混乱期における劉邦と仲間たちの挙兵から、天下を分ける項羽との決戦まで、圧巻のスケールで展開!
酒好きで女好き、一介の地方役人に過ぎなかった劉邦が、なぜ中華全土を統一する王となるに至ったのか。稀代の英雄譚!
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ぜひご覧ください!
2015年8月21日(金)、東京都内のホテルで行われた第153回芥川賞・直木賞の贈呈式、懇親パーティーへ行ってきました。
直木賞の受賞請負人?(※)といわれる原田としては、毎年この時期になるといてもたってもいられず、忙しい中、思わず仕事を放り出して??駆けつけてしまいました。
(※関係者の一部で、原田が作品を提供すると、その作家さんが直木賞を受賞するというジンクスがあるのです。たとえば山本一力さん、安部龍太郎さん等々。エピソードについては「リンク集」をご覧ください)
写真は、芥川賞を受賞した羽田圭介さん(29)、お笑いコンビ「ピース」の又吉直樹さん(35)、直木賞を受賞した東山彰良さん(46)です。みなさん、受賞、本当におめでとう。
贈呈式のあとの懇親パーティーでは、いつもどおり、顔なじみの編集者や宮部みゆきさんをはじめとする作家のみなさんと楽しくお話させていただき、毎年のことながら充実した時間を過ごすことができたのでした。
●梶よう子・作『連鶴』祥伝社 (2015/7) 内容紹介
一枚の紙から二羽から百羽近くまで、四十九通りもの折り方がある繋がった千羽鶴“連鶴”。桑名藩に伝わるその折り鶴は女子の遊びではなかった。
大政奉還から王政復古へと向かう幕末の動乱の中、親藩・桑名藩士として最後まで生きる道を選んだ速見丈太郎は、商家の婿養子となり「藩を捨ててくれ」と言い残して消えた弟・栄之助に思いを込めて、久方ぶりに連鶴を折った。信じる道が異なろうとも、我らは兄と弟なのだと―。
親藩・桑名藩士として身命を賭す兄と商家の婿養子となった弟。幕末維新の激動は、二人に何を問い、いかなる明日を見せるのか?気鋭の女流作家が初めて幕末維新に挑んだ感涙必至の野心作!
●山本一力・作『龍馬奔る 少年篇』角川春樹事務所 (2015/8)内容紹介
龍馬は桁違いに大きなことを成し遂げるために、世にふたつとない強い星を背負って生まれてきた。
龍馬に託された大事を成し遂げるためには、龍馬自身が真の男であることが不可欠だ。そのためには切磋琢磨し、男の器量を磨くことだ。男ぶりを磨くための絶好の稽古場が室戸岬の鯨組だ。
勇魚と呼ばれるクジラと、鯨組の漁師が文字通りに命を賭して闘うのが鯨漁。それを龍馬に見せてやってくれ。そして龍馬に叩き込んでくれ。うかつに闘いは始めるな。ひとたび戦端を開いたのちは、かならず相手を仕溜めよ。それができなければ、我が命を落とすと心得よ、と。八郎右衛門はこれらのことを龍馬に伝えてほしいと丹吾朗に託していた.....
文具の老舗、ご存じ銀座の伊東屋さんにて、6/1(月)〜6/30(火)までの一ヶ月にわたり、原田維夫の個展が開催されます。
※8〜9日のみ改装工事のため、全館休業となりますので、ご注意ください。
伊東屋さんの画材売場を使った展示となるため、作品数は15〜20点くらいの小じんまりとしたものとなりますが、そのぶん選りすぐった原田の作品の数々をお楽しみいただけます。
銀座にお出かけに際は、ぜひお立ち寄りくださいね!
新潮社の『波』、2015年5月号に、宮城谷昌光さん著『随想・春夏秋冬』についての原田の書評が掲載されました。
宮城谷さんは、原田とお仕事をさせていただく機会がもっとも多い作家さんのひとりで、お付き合いも長いのですが、このご著書には、原田も知らなかった、作家として世に出られるまでのさまざまなご苦労がつづられています。
原田の書評とともに、宮城谷さんのご著書もぜひご覧くださいね。
生きることのすべてが、小説に繫がっていた。
歴史小説の大家が半生を回想する自伝的エッセイ集。
※記事の写真画面を「2度クリック」ください。十分に読める大きさに拡大いただけます。
2015年3月19日から、文房具の老舗・銀座伊東屋さんのK.ITOYA 地下1階売場で原田の作品を直接ご覧いただけます。
品質に定評のある「額」をはじめとする伊東屋さんの素敵な画材の販促をお手伝いさせていただくというかたちのコラボレーションで、メイン作品が額入りで展示されています。
その他40点あまりの作品を収めたファイルも常備されており、原田のさまざまなジャンルの力作をご自由にご覧いただけるようになっています。
銀座にお越しの際は、ぜひ足をお運びくださいね!
※展示期間は特に定められておらず、当分の間ご覧いただけますが、伊東屋さんは改装中につき、ときどきレイアウトに変更があるようです。ご来訪の際は、念のため伊東屋さんに展示の有無をご確認ください。
原田維夫公式サイト管理人より
先日の天気のいい日、ブラリと散歩がてらに神田の中古CD店をのぞいていると、ふと、カラヤンのコーナーに私の父の顔があるのを発見!
それも、あのカラヤンが指揮をしている姿といっしょに、当時NHK交響楽団のチェロ奏者をしていた私の父の姿が写っているというスグレモノで、すぐに買ってしまいました。
左側の前から2列目でチェロを弾いている「ダンディな二枚目」が私の父・原田喜一です。
(髪の毛の量が似ているからといって、くれぐれも前列の人と間違えないでください!)
このCD、1954年の日比谷公会堂でのライブ録音で、このとき私はこのコンサートを聞きに行っていたので、最後の拍手の部分に当時15才だった私の拍手も入っているのです。
当時の様子がまざまざとよみがえり、しばし感動に浸った一日となりました。
2013年7月21日の開始より、およそ1年半にわたり毎日新聞で大好評のうちに連載を続けてきた宮城谷昌光・作/原田維夫・画『劉邦』が、本日、最終回をむかえました。
連載中は、多くのファンの皆さまからはげましの言葉やさまざまな感想をいただき、また、多くの方々にお気に入りのシーンの作品もお求めいただき、あらためて深くお礼申し上げます。
引きつづき『劉邦』の作品はすべて「劉邦ギャラリー」で公開しています。板に魂を吹き込む版画家・原田維夫が、持てる力のすべてを注ぎ込んだ作品の数々をぜひお楽しみください!
2015年2月10日、原田維夫の作品がカバーを飾る、山本一力さんの『花明かり 深川駕籠』の文庫版が祥伝社より発売されました。
一力さん自らおすすめの疾走感あふれる深川シリーズ第三弾、ぜひご覧ください!
●本の内容(祥伝社ホームページより):
作者一押し。新太郎と尚平が駆ける。駆ける。
感涙の桜見物が、一転“千両”を賭けた早駕籠勝負に!
・・・満開を迎える深川大横川(ふかがわおおよこがわ)の桜並木。駕籠舁(かごか)きの新太郎(しんたろう)と尚平(しょうへい)は、庄兵衛(しょうべえ)とおよねの老夫婦を花見に招待した。
余命わずかなおよねの望みをかなえるためだった。翌日、桜を楽しむ新太郎たちに、千住(せんじゅ)の駕籠舁き寅(とら)とその客が早駕籠勝負をけしかけてきた。我慢を重ねた新太郎だったが、やがて、勝負をうけることに。だが、賭け金が千両だったことから──胸のすく第3弾!
原田ともっとも組む機会が多い作家さんのひとり、宮城谷昌光さんの作家生活25周年をお祝いするパーティに参加してきました。
当日は、歌手で俳優の吉川晃司さん、作家の宮部みゆきさんらの挨拶があり、大勢の人でいっぱいで、改めて宮城谷さんの人気のすごさを再認識させられるようなすばらしい会でした。
その後、みなさんとカラオケの二次会にくり出し、ひさしぶりに宮部さんや諸田玲子さんらと歓談。わたしも、わが父・原田喜一が作曲した「加藤隼戦闘隊」を唄わされるハメに…
父親がつくった曲とはいえ、これを唄うのはなんと十数年ぶり。音楽一家※出身者の面目躍如とがんばったのですが、音程をはずしっぱなしで、最後はちょっと残念な結果??に終わってしまいました(苦笑)。
それはともかく、当日は多くの作家さん、アーチストさん、出版社の方々と楽しく会話をさせていただき、とてもハッピーな一日となったのでした。
※父・原田喜一はもとNHK交響楽団のチェリストで作曲家。実弟の原田禎夫も国際的なチェリストとして世界の舞台で活躍しています。
寒いながらも快晴となった1月23日(金)、広島市から原田工房へ滝口哲郎さんご夫妻(写真右のお二人)がお越しくださいました。
滝口さんは、自動車会社マツダのエンジニアリング部門の責任者を長年つとめてこられた方で、アテンザやデミオなどのヒット車種に使われ、マツダ社復活の原動力となったスカイアクティブ・テクノロジーを生み出す基盤となった同社の全社的革新プロジェクト「MDI=マツダ・デジタル・イノベーション」を10年にわたり率いてこられた自動車業界の重鎮です。さらには、政財界や文化人にも多大な人脈をお持ちの方でもあります。
現在は、ネットシェア代表として自動車5社(トヨタ、日産、ホンダ、三菱、マツダ)の現役幹部社員ネットワークを主宰され、日本最大の公的研究機関「独)産業技術総合研究所」の協力研究員という要職もつとめられています。
写真左が原田夫妻、中央が同じく産業技術総合研究所の研究参与で滝口さんと同僚かつ原田のアドバイザーもつとめていただいている田中 純さん、右のお二人が滝口さんご夫妻。
作品鑑賞後は、原田工房がある超高層タワーマンションの展望ゲストルームに場所を移し、美しい東京の夜景を楽しみながらディナーをごいっしょさせていただきました。
新年あけましておめでとうございます。
昨年は、1964東京オリンピック50周年ということもあって、テレビ、新聞、雑誌、各種企業さんなどさまざまなところから、たくさんの創作や取材のご依頼をいただきました。本当にありがとうございました。
また、ファンの皆さまには、激励のおことばをいただくのみならず、原田工房に直接お越しいただいたり、全国から作品をお求めいただいたりと、感謝の言葉もありません。心よりお礼申し上げます。
原田維夫は、2015年も引き続き精力的に創作活動を行っていく所存です。
本年も何とぞよろしくお願いいたします。
12月6日付の毎日新聞朝刊に、1964年の東京オリンピックにおけるピクトグラムの開発現場のようすを描いた版画とともに、原田がくわしく語った当時のようすが紹介されました。
「ピクトグラム〜社会生活に不可欠の存在に」にと題したエッセイ風の記事で、当時の空気が生き生きと描写されています。
さすが全国紙の記者さんですね。みなさん、ぜひご覧ください。
ちなみに記事にある版画は、10月9日に原田が生出演したNHKの番組「ひるまえほっと」さんむけに作成したものです。
(2つ前のトピックスをご参照ください)
NHKの皆さんにも大好評で、もちろん番組内で紹介していただきましたが、今回、毎日新聞さんにも気に入っていただき、しっかりと記事に掲載していただきました。
版画家冥利に尽きますね。ありがとうございました。
1964年の東京オリンピックからちょうど50年にあたる2014年10月10日(金)、原田維夫が出演したNHK-BS1『1964から2020へ オリンピックをデザインした男たち』が放送されました。
1964年の東京オリンピックにピクトグラム開発プロジェクトのメンバーとして参加した原田維夫が、当時のようすを、まさにオリンピックをデザインしたメンバーのひとりとして熱く語りました。
※画像をクリックで拡大してご覧ください。
きのう9日のNHK総合『ひるまえほっと』生出演につづき、早速、「見たよ」メールや感想が続々とよせられています。
ご感想をいただいたファンのみなさま、作家さんや編集者さんなど業界関係者のみなさま、応援ほんとうにありがとうございました!
←※左写真:最年少の若手デザイナーとして参加した当時のエピソードや写真が紹介されました。
※右写真→:このプロジェクトには、グラフィック・デザイナーの草分け・田中一光さん、日本のデザイン文化を切りひらいた第一人者の横尾忠則さん、
「日本のエッシャー」として知られる福田繁雄さん、鬼才イラストレーターとして名高い宇野亜喜良さん、
トリスのキャラクターでおなじみの柳原良平さん、
緻密な文化・歴史考証とダイナミックな作風で、版画による文学の挿絵という分野を確立した原田維夫など、のちに、その道の第一人者となるメンバーが何人も参加していたのです。
10月9日(木)、原田維夫が、NHK総合『ひるまえほっと』(11:05〜)に生出演しました!
今週から来週にかけて『ひるまえほっと』は、オリンピック特集で盛りだくさん。1964東京オリンピックでピクトグラム・デザイナーとして活躍した原田は、当時の開発秘話やこれからの若いデザイナーに期待することなど、たっぷり時間をいただき、あますところなく語らせていただきました。
※写真をクリック拡大してご覧くたさい。
放送直後から、「見たよ」メールや電話が殺到しました。
ファンのみなさん、作家さん、編集者さんなど業界関係者のみなさん、応援ありがとうございました!
何よりも、松尾さん、三好アナ、小林チーフプロデューサー、松野ディレクターほか『ひるまえほっと』のスタッフのみなさんには、このうえない機会を与えていただきました。ありがとうございました!
※右写真→:生放送中、熱心に原田に問いかけ、ピクトグラムについてさらに深く掘り下げようとする三好アナ。
うしろには、当時、原田たちが開発し世界最初のピクトグラムとなった成果の一覧が見えます。
←※左写真:本番3〜4分前、おどけてみせる原田。緊張感ゼロ??
・・・これも、取材から当日まで、まるで娘(孫?)のように世話を焼いてくださった松尾さん(右)のおかげですね。
※右写真→:放送終了後に記念撮影。右から二人目は、原田の支援者・アドバイザーをやっていただいている田中 純さん。
イノベーションの専門家・事業家として、社会イノベーションの観点からピクトグラムを説明いただくなど、今回のNHKさんからの取材・企画に多大なご協力をいただきました。
NHKさんのために、当時のピクトグラムの開発現場を版画作品にするアイデアを出していただいたのも田中さんです。
※台風等の影響を考慮し、10/6 → 10/9へと出演日程が変更になりました。
※10/10(金)NHK-BS『オリンピックをデザインした男たち』にも原田が出演します。
原田維夫が、10月9日(木)のNHK総合『ひるまえほっと』(月〜金11:05〜11:54)に「生出演」することになり、事前の打ち合わせとして、9月30日に、番組のレポーターをつとめるNHK首都圏センターの松尾衣里子(まつおえりこ)さん(写真右)から取材を受けました。
10月6日の週の『ひるまえほっと』では、一週間まるごと「東京オリンピック」が特集されます。原田は、ピクトグラム(=デザイン記号)が開発され、世界に普及するきっかけとなった「1964東京オリンピック・デザインプロジェクト」にデザイナーとして参加※した希少な経験をもつアーチスト、ということで、当時のピクトグラム開発秘話などについて語る予定です。
※原田本人の主張(?)を申し上げておきますと、当時のデザイナーの中では「もっとも若手」だったそうです(笑)。
ちなみに、原田は、もともと取材の依頼が少なくない人間ですが、日本のデザイン・ルネッサンスとなった「1964東京オリンピック・デザインプロジェクト」に参画したということで、以前にもまして、あちこちで引っぱりだこで、“ひとりオリンピック景気”状態です。
10月10日(金)21:00から放送のNHK-BS『オリンピックをデザインした男たち』にも出演するので、こちらもぜひご覧くださいね!
※国会中継等で、番組内容に変更(後日の録画放送など)が生じる場合があります。
9月27日~10月5日に、港区高輪台のギャラリー「啓祐堂」で、すべての作品が原田のもので構成される直木賞作家・山本一力さんのイベント『 山本一力展 ~ジョン・マン米国取材と原田維夫 原画展 ~』を開催中です。
この展覧会では、一般にあまり知られていない山本一力さんのジョン・マンジロウに対する海外取材風景をスナップ写真で紹介すると同時に、小説『竜馬が奔る』をはじめとする原田維夫の挿絵のオリジナル木版画を展示して、山本一力ワールドを満喫していただけます。
ぜひ足をお運びいただき、山本一力さんと原田維夫の世界をご堪能ください。
2014年7月号の「みなとっぷ」(高輪地区の情報誌)の“この街に この人あり”のコーナーに原田のインタビュー記事が掲載され、表紙に、原田の作品の「明治学院大学 インブリー館」(港区白金台)が掲載されました。
※原田のインタビューがPDFでご覧いただけます。
インタビューでは、版画をはじめたきっかけにはじまり、多摩美術大学時代に当時プロのデザイナーの登竜門と言われた日本宣伝美術会の特選を受賞したこと、
横尾忠則さん、宇野亜喜良さんとデザイン会社を設立したこと、
ピクトグラム(図記号。男女のトイレマークが有名)が世界に広まるきっかけとなった「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」に参加したときのことなどを語らせていただきました。
※毎日新聞に連載中の大河小説「劉邦」(宮城谷昌光・作)に提供した作品もご紹介いただきました。
「高輪に来て8年になりますが、妻が30年以上高輪にオフィスを構えていることもあって、この地域にはなじみが深く、とても気に入って暮らしています。地域住民の有志の方々が手づくりでつくっている情報誌に載せていただき、あらためて地域の皆さまに深く感謝するとともに、とても幸せな気持ちにさせていただきました。
あらためて、記事を企画し、取材してくださったご担当者の安藤さん、松島さん、森さんに心より感謝申し上げたいと思います」
(原田維夫)
↑※トップページには、原田の作品「明治学院大学 インブリー館」(港区白金台)を掲載していただきました。
2014年7月現在、「小説NON」に連載中の梶よう子さんの小説『連鶴』にさし絵を提供しています。
少し前の話ですが、先日の6月20日に、梶よう子さん、NONの編集ご担当のFさんと3人で、川崎で楽しい飲み会をやりました。
その席で、梶さんに「連鶴」のことをお尋ねしたところ、連鶴とは折り紙の一種で、一枚の紙からできている複数の鶴がつらなった折鶴のことで、うすい紙に切込みを入れて折るのだそうです。
かつては連鶴のことを「千羽鶴」と呼んでいたようで、江戸時代にはすでにいくつかの種類の折り方が確立していたとのこと。なんと一枚から100羽を折り出した作品もあるようです。
折り方を解説した本(下記※)なども出ているようですね。
ぜひ一度チャレンジしてみたいものです。
池田 総一郎 日貿出版社 2012年
※「つなぎ折鶴の世界(改訂版) 連鶴の古典『秘伝千羽鶴折形』」
岡村昌夫 本の泉社 2006年
2014年5月27日発売の『月刊スピリッツ7月号』で、最澄、空海を題材にした、おかざき真里さんの新連載「阿・吽」(あ・うん)がはじまりました。
連載開始にあたり、最澄と空海を解説したページに、原田の作品が掲載されました。空海が建立した「高野山 金剛峯寺」と、最澄が修行を行い、彼が点火したのち1200年経った現在も燃え続ける灯りが保存されている「比叡山 延暦寺」の画の2点です。
日本の歴史・建造物に精通した原田維夫ならではの、和のテイストにあふれ、静寂と奥行きが感じられる優雅なタッチの作品となっています。
おかざき真里さんの本編とあわせて、ぜひご堪能ください!
原田ともっとも組む機会が多い作家さんのひとりで、現在、毎日新聞で連載中の『劉邦』でも作品を提供させていただいている直木賞作家・宮城谷昌光さんとの「皐月賞」(さつき賞)にまつわるエピソードをひとつ。
20日開催の皐月賞にむけて、かつて競馬記者だった宮城谷昌光さんに予想をしていただこうということになり、前日19日(土)の夕方から、宮城谷昌光さんご夫妻、文芸春秋社のKさん・Sさん、原田の5人で、行きつけのANAホテル東京にある中国料理レストラン「花梨」にあつまり作戦会議を行いました。
その席上での宮城谷さんの予想は「18番枠・柴田大知のウインフルブルーム」が逃げのこるのではないか、というもの。
さて、本番当日、みなさんもご存知のとおり、みごと「(18)ウインフルブルーム」がまさに逃げのこり、なんと3着に!!!
ズバリ的中といっていいでしょう。結構な払いもどしもありましたしね。もちろん原田も、おかげさまでその3連単をゲットしました。
写真は、この2日間、皐月賞をご一緒に戦いぬいた?宮城谷さんご夫妻と、帝国ホテルにもどってお茶をいただきながら、当日の戦果について熱く語りあっているところです。
2014年4月4日、原田の実弟で国際的に活躍するチェリスト、原田禎夫(はらださだお)のリサイタルに行ってきました。
題して「原田禎夫 チェロ・シリーズ vol.6 原田禎夫 チェロ・リサイタル~ベートーヴェンを弾く」。
東京文化会館ホールで催されている「東京・春・音楽祭-東京のオペラの森2014」の一環として行われているものですが、2012年からスタートしたこのシリーズも、今回のvol.6でいよいよ最終章をむかえました。
万感の思いを込めてわが弟・禎夫が奏でる「ベートーベン・チェロソナタ2番、4番、5番」を心から堪能してきました。
彼が東京クヮルテットに在籍していたドイツ時代に出会って以来、しばしば共演してきた加藤洋之さんのピアノも絶妙で、世界的な奏者であるふたりが織りなす美しいソナタの調べに身をゆだねた、何とも心地のよい春の一夜でした。
●演奏曲目
チェロ・ソナタ 第2番 ト短調 op.5-2
チェロ・ソナタ 第4番 ハ長調 op.102-1
チェロ・ソナタ 第5番 ニ長調 op.102-2
●原田禎夫 チェロ・シリーズ vol.6
2014年3月12日付の毎日新聞・朝刊の投書欄に掲載された記事です。
現在連載中の「劉邦」(宮城谷昌光・作、原田維夫・画)についてのものですが、作者の宮城谷さんと原田の労をねぎらっていただき、原田が提供している画について、特におほめの言葉をいただいています。
何よりもうれしいのは、投稿者の方が、みずから音読という方法を見つけて「劉邦」をさらに積極的に楽しもうとしてくださっている、ということですね。
日々連載を続ける私たちにとって、こうしたメッセージはこのうえない励みになります。
投稿者さま、そして記事を掲載していただいた毎日新聞社さん、ほんとうにありがとうございました。
2月20日に帝国ホテルでひらかれた直木賞・芥川賞の贈呈式・パーティをはさんで、直木賞作家さんのお二人と、連日、食事会をはしごしてきたという、何とも豪勢なお話をさせていただきましょう。
まず2月19日は、祥伝社のTさん、Fさん、原田、そしてご存じ、原田と組む機会がもっとも多い作家さんのひとり、2002年(第126回)の直木賞受賞作家・山本一力さんの四人で、江戸川橋のうなぎ屋さんにて、おいしいうなぎに舌鼓を打ちながらの楽しいひとときを過ごしてきました。
あいかわらず話題が豊富な一力さんに触発されるかたちで、直木賞にかんするエピソードはもちろん、仕事や趣味のことなど話がつきることがありませんでしたね。
そしてあくる日の20日は、帝国ホテルにおける第150回直木賞・芥川賞受賞パーティのあと、文芸春秋のKさん、原田、そして、これまた1991年(第105回)の直木賞受賞作家で、現在、毎日新聞の連載小説『劉邦』でいっしょにお仕事をさせていただいている宮城谷昌光さんご夫妻と豪快に鉄板焼きを囲んできました。
宮城谷さんご夫妻とは何度も食事をごいっしょさせていただいているのですが、この日は直木賞授賞式の直後だったこともあって、特に楽しくもりあがった席となりました。
数多くいる直木賞受賞作家さんの中でも、もっとも活躍しているお二人との食事会を「はしご」し、珠玉の二日間を過ごさせていただいた、というお話でした。
2014年2月13日、長年の友人で、アートディレクター、グラフィックデザイナーとして知られる長友啓典(ながともけいすけ)氏が編集長をつとめる「クリネタ」の6周年記念パーティーへ行ってきました。
(重要文化財としても知られる明治生命館にあるセンチュリーコート丸の内で盛大に行われました)
長友氏は40数年来の友人で、師である田中一光氏の兄弟弟子という間がらでもあります。
むかしはよく、長友氏とその友人である作詞家の吉岡治氏、フォークシンガーの岡林信康氏とか、同業の黒田征太郎氏などと、毎晩夜8:30から飲みはじめ、翌朝の8:30に解散する、といった、若さにまかせた飲み会をやったものです。
ますます輝きを増している彼の姿から、たくさんの元気をもらった一日でした。
先日の1月28日、2002年の直木賞作家で、原田と組む機会がもっとも多い作家さんのひとり、山本一力さんと奥さまに昼食に招待していただき、豪華でこのうえなくおいしい天ぷら料理をご馳走になってきました。
小さかくてかわいかった一力さんのお子さんお二人も、いまや大学生と大学受験生とのこと。当時は親しみを込めて名前だけで呼んでいたのですが、いまや君(クン)をつけて呼ばないといけない年齢になってしまったようです。
...一力さんと出会って早や十余年、時がたつのが早すぎる感じですね。楽しいひと時でしたが、ちょっとしみじみとしてしまいました。
山本一力さんとのエピソードについては、「リンク集~原田の友人たち」もぜひご覧ください。いつもまっ先に原田の個展にかけつけてくださる一力さんの温かくて義理がたいお人がらを感じていただけると思いますよ。
2013年12月10日、北青山のギャラリー「MAYA2」さんで、個展「時代物を描く巨人たち~草鞋之会」のトークイベントが開催されました。
当日のパネラーは「草鞋之会」の発起人でもある百鬼丸さん、原田維夫、司会・進行役は新潮社のベテラン編集者・高橋千裕さんがつとめました。
会場は30人を超える若手アーチストやファンでいっぱいになり、熱気あふれる雰囲気の中、創作技術にかんするものからプロのアーチストとしての心構えにいたるまで、さまざまな質問がパネラーに投げかけられ、2時間たっぷり熱いトークバトルが交わされ、大変な盛り上がりをみせました。
加えて、草鞋之会の発足記念ビンボー旅行でのキケンな話など、(NHKラジオ深夜便などで実績のある??)あいかわらずの原田の爆笑トークも健在、笑いもたえない明るく楽しいイベントとなりました。
○当日の様子、展覧会の模様をミニギャラリーにまとめました。ぜひご覧ください。
本日11月25日、世界的な地球物理学者で東京大学名誉教授・松井孝典さんの新刊『スリランカの赤い雨』の出版記念対談・講演会(神保町東京堂書店ホール)に、応援に行ってきました。
原田のいとこで、日本で創薬ベンチャーを成功させた起業家として知られ、一橋大学イノベーション研究センター特任教授としても活躍する所源亮(ところげんすけ)から招待を受けた田中純さんからのお誘いで、出かけてきました。
素晴らしいメンバーにより濃密かつスリリングな議論が行われ、圧倒されっぱなしの2時間30分でした。
10月27日(日)、原田維夫が、所ジョージさんが司会するTBSのテレビ番組【スパニチ!ニッポンの出番!】(14:00~)に出演しました。
原田が、若手アーチストとして、現在は世界中で使われているピクトグラムを初めて開発し、その後のオリンピックやデザイン界のみならず、社会生活や都市計画にまで大きな影響を与えたといわれる「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」に参加した当時のようすを語りました。
...あらためて、皆さん、「ピクトグラム」ということばをご存知でしょうか。
下の写真にあるように「公共空間の案内などに使用される図記号」のことで、現在は街中でごく普通に見られるものですよね。
でも、じつはピクトグラムは、「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」で初めて開発され、その後世界に普及したものなのです。
(だれもが知っている「トイレの男女マーク」は、じつはこのプロジェクトから生まれたものなんですね)
ピクトグラムの発明は、まさに世界のデザイン界に革命を起こし、あまねく社会に影響をあたえた一大イノベーションだったわけですが、原田は同プロジェクトにおける開発チームのメンバーとして活躍したのです。
番組では、原田の回顧をもとに、悪戦苦闘した当時のエピソードの数々が取りあげられ、再現シーンもいくつか紹介されたのですが、放送直後から、ファンや関係者の皆さまから「元気をもらった」「感動した」といった内容のお電話やメールをたくさんいただきました。
番組をご覧いただいた皆さま、ほんとうにありがとうございました。
これからも原田維夫への応援をぜひよろしくお願いいたします!
原田維夫公式サイト管理人より
※↓主なシーンを抜粋しました。ぜひご覧ください(クリックで拡大いただけます)。