◆あの沢木耕太郎さんに“指導”した若かりしころ

※産経新聞 創刊80周年記念 連載歴史小説特集/2013年6月20日付
※産経新聞 創刊80周年記念 連載歴史小説特集/2013年6月20日付

 2013年6月20日付の産経新聞の朝刊に、同紙80周年記念「連載歴史小説特集」で、昭和59年に連載が開始された沢木耕太郎さんの『深夜特急』が取りあげられ、原田が作成した題字も掲載されました。

 

 

●沢木耕太郎さんとの出会い ~二人とも若かりし学生の頃:

 沢木耕太郎さんとは、わたしがまだデザイナーで、毎日新聞社の『月刊エコノミスト』の表紙や中身のデザインを手がけていたころ同新聞社のオフィスで知りあいました。

 

当時、私は学生だったと思いますが、沢木さん自身もまだ学生で、エコノミスト誌に人物インタビューの記事を連載されることになって、毎日新聞社にやってこられた折に知りあったのです。

 

 

●あの沢木耕太郎さんを「指導」する:

 あるとき、沢木さんが、わたしに対し「自由業についてうかがいたい」と言ってくださったので、竹橋にある新聞社の地下の喫茶店でコーヒーを飲みながら話すことになりました。

※ご存じ沢木耕太郎さん。沢木さんのお名前のとなりに「原田維夫」とあります。
※ご存じ沢木耕太郎さん。沢木さんのお名前のとなりに「原田維夫」とあります。

当時はおたがいに学生で、沢木さんが年齢的に後輩だったこともあったせいか、生意気にも「文筆家になるのなら、何かひとつ、定職かレギュラーを持っていた方が良いョ」などと言ったおぼえがあります。

 

その直後に、あれよあれよというまに作家として有名になられてしまって、あとで「生意気なことを言うんじゃなかったナー」と後悔したりしたものです。

 

でも、そのときのわたしの名指導(迷指導??)があったからこそ、あの名作『深夜特急』の連載のさし絵の作者に私を推薦してくださったんだと思います(そう思いたいんですよネー)。

 

※関連リンク:

○企業再生請負人・戦略コンサルタント、田中 純の「経営・技術戦略実践講座」

「イノベーター作家と、歴史小説描写にイノベーションを起こした版画家の出会いに思う」

 

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原田維夫が回想録を寄稿している「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」公式写真集(東京国立近代美術館・刊)。
原田維夫が回想録を寄稿している「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」公式写真集(東京国立近代美術館・刊)。

「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」にピクトグラム・デザイナーとして参加した原田維夫は、「東京オリンピック・パラリンピック2021」を応援させていただきました。

◆2016年3月3日、「東京オリンピック2021応援シリーズ」特設ページを開設しました!

◆2014年11月3日、山本一力さんの仕事場の写真を追加しました。

山本一力さんの仕事場の写真を掲載しました。原田維夫の作品「馬九行久の図」を大切にかざっていただいています(写真左上)。くわしいエピソードは「リンク集〜原田の友人たち」をご覧ください。

 

◆11月7日、原田が寄稿している『東京オリンピック1964デザインプロジェクト』公式写真集を出版物リストに追加しました!

2013年2~5月に国立近代美術館で開催された展覧会『東京オリンピック1964デザインプロジェクト』の公式写真集を出版物のページに追加しました。
 トイレの男女マークなどで知られるピクトグラムは、このプロジェクトから始まりましたが、そのときのエピソードを寄稿しています。

◆10月27日(日)、原田維夫が、TBSテレビ番組『スパニチ!所さんのニッポンの出番!』に出演しました!

2013年10月27日、原田維夫が、所ジョージさんのテレビ番組【スパニチ!!ニッポンの出番!】に出演し、ピクトグラムの開発で世界に影響を与えた「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」のエピソードを語りました。

 

くわしくは、ブログ、「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」、最新トピックス(トップページ)をぜひご覧ください!

◆2013年3月27日、原田維夫の公式ウェブサイトがオープンしました!

ファンの皆さん、作品の発表の機会をつくってくださった多くの作家さんや事業者の皆さんへの感謝の気持ちをこめ、このたび公式ウェブサイトを開設いたしました。 

※本サイトでは、クリックにより拡大画像をお楽しみいただけます(一部をのぞきます)。

 

◆原田維夫 代理人・公式ウェブサイト管理責任者:

 

株式会社ジェイ・ティー・マネジメント

https://www.jtm-tanaka.com/

 

田中  純(たなかきよし)